教会の歴史

これまでの歩み

1929年4月  東京神学社神学専門学校を卒業した徳澤清子(とくざわきよこ)が、自宅を開放して「日本基督教会長崎町婦人講話所」を開設したのが初めです。

1930年5月  「日本基督教会武蔵野伝道教会」となりました。住宅家屋を借入し、仮会堂としました。

1931年         清子は熊野義孝(くまのよしたか)と結婚。以降夫妻で教会の牧師となりました。義孝牧師は在任50年、清子牧師は在任65年に及びました。

1935年     仮会堂を購入。

1939年     仮会堂を解体し、会堂を建築し、12月に竣工。

1941年1月   「日本基督教会武蔵野教会」となりました。

1941年4月  国内のプロテスタント諸教派の合同により「日本基督教団」が設立され、日本基督教会も加盟したので 、「日本基督教団武蔵野教会」となりました。この名称で現在に及びます。

1945年4月13日 空襲で会堂消失。以降牧師宅で礼拝と諸集会を継続しました。

1947年     現在の土地を購入。

1949年    会堂を建築し、12月に竣工。

熊野義孝牧師は、神学教師として神学校における教育活動にも尽くしました。神学者としての業績は、代表的著作である『終末論と歴史哲学』『キリスト教概論』『教義学』などが『熊野義孝全集』(全 12 巻、別巻 2 巻)に収録されています。資料として『熊野義孝の神学』(論文集)、『追憶 熊野義孝先生』、『熊野義孝・清子先生と武蔵野教会』(新教出版社刊)があります。

熊野清子牧師には、説教集『み言を求めて』、『神に喜ばれ、神を喜ぶ』(新教出版社刊)、『主の義をまといて』(教文館刊)があります。

各地域に住む教会員宅で開かれた家庭集会を「方面集会」と称し、集まって聖書を読み信仰を励まし合う中から新たに洗礼を受ける方々も起こされました。

また子どもたちへの伝道が盛んに行われ、会堂での日曜学校のほかに、教会員の自宅で開かれた日曜学校長崎分校と大泉分校にも、大勢の子どもたちとそのご家族がつながりました。

当教会とのかかわりの中で生まれた伝道所が発展していきました。方面集会から生まれた「所沢武蔵野教会」、川村輝典牧師の開拓による「弦巻教会」、鳥山明子牧師の開拓による「荻窪南伝道所」(2007年3月末まで41年間活動)があります。現在は「武蔵野横須賀伝道所」が神奈川県横須賀市ハイランドで活動しています。

1981年 椿憲一郎・椿 信子両牧師を迎えました。お二人は熊野両牧師の後任として2007年3月まで26年間担任されました。

椿憲一郎牧師には、説教集『主の名によって集まるところには』、訳書に J.S.ステュアート『受肉者イエス』、J.デニー『キリストの死』があります。椿信子牧師には、説教集『命の光の中を歩む』(新教出版社刊)があります。

1989年 埼玉県毛呂山の武蔵野霊園(東武越生線「武州長瀬駅」)に納骨堂を建てました。毎年5月に墓前祈祷会を行なっています。

2001年 新会堂建築。建築中は日本聖書神学校の礼拝堂を借用しました。11月竣工し、現在まで使用しています。

2006年、佐々木潤・佐々木香理両牧師を迎えました。香理牧師逝去後も潤牧師が担任を続け、現在に及びます。

2020年 会堂に隣接する旧牧師館を解体し、同じ場所に新牧師館を建築し完成しました。

上記の牧師たちの他に、斎藤昭夫、小倉嗣夫、秋山英明、ウィリアムズ郁子牧師が一時期ご協力くださいました。武蔵野教会出身・関係牧師70 名以上が日本国内外の各地において、牧師・神学教師・キリスト教学校教師・病院チャプレンとして働いておられます。

武蔵野教会の関係教会と伝道所

当教会から生まれ、現在でも伝道所として活動しているのが「武蔵野横須賀伝道所」です。

日本基督教団 武蔵野横須賀伝道所
(神奈川県横須賀市)
当教会が1982年10月に開設しました。
日本基督教団 武蔵野横須賀伝道所